大人はなぜこどもにウザがられるのか
前回「こどもがグミをつくったらスリル満点だった」というブログで、こどもに余計なアドバイスをしてしまい「そのアドバイスいらない」とうざがられたので、しまった!と思ったことを振り返ります。
グミ作りは2日間別々の子がやりました。1日目に作った子が「熱しすぎてゼラチンが溶け切らなかった」「砂糖を入れすぎても美味しくない」という発見があったので、2日目に作ろうとしていた子に伝えたら「そのアドバイスいらない、うざい!」と言われて、ああ、今うざいことしちゃったな、と反省。
そのあとは見守りに徹していた時の振り返りです。
大人はなぜこどもにウザがられるのか
みなさんにも経験ありませんか?職場で、学校で、友達同士で頼まれてもいないのに勝手にアドバイスしてくるうざい人。
例えば恋バナを、旦那の愚痴を、ただ聞いてもらって発散したいだけなのに、アドバイスされてうざい。
仕事でちょっとミスして落ち込んでる時に、上司にアドバイスされてうざい。
これがこども相手だとどうでしょう?
大半の大人が聞かれていない余計なアドバイスをこどもに対して、していないでしょうか?
こっちは大人だから!という上から目線だし、うざいアドバイス以外のなにものでもない。
良いアドバイスとはなにか
良いアドバイスは相手から質問があった時に応じることで、こどもの方も知りたい!と思っているからウザがられないし、「そうか〜」って素直に応じてくれます。
グミの時は、常温のジュースにゼラチンを入れた後、どんなに混ぜてもゼラチンが溶けなかった時。
なぜだろう?とレシピを見直したこどもたちが「粗熱ってなに?」という疑問を持ったのがきっかけでした。
相手がアドバイスを受け入れる体制ができてる状態で、この状態になるまで待つのは大事だなと改めて反省。
教育とアドバイスの違いは?
ここの境目は何が正解かわかりません。文科省の定義だと「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と書かれていて、これをChatGPTに一言で言うとどういうこと?と聞いてみると「教育は、個人と社会の発展を促すための道筋です」と返ってきました。
グミづくりとはかけ離れてよくわかりませんが、正しいグミ教育は「美味しいグミを作って食べる人を幸せにする」ってことにしましょうか。
そうすると正しいグミを作るための方法や技術を伝達することは教育ってことになるんでしょうね。
最後はこじつけになりましたが、ウザくない大人を目指し、正しく美味しいグミ作りによって人に喜んでもらい達成感を得られることを目指して今日も新グミ開発を楽しみます。
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