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こどもたちはなぜ武器を手に取るのか?


最近思うところあってこどもたちの作ったものや、簡単に作れそうなものを集めたデータベースを作り始めて

みんな武器を作るの好きという気づきがありまして。

ゴム銃、バネ銃、ボウガン、弓矢、剣、刀、盾、といったものは毎回誰かが作っています。男の子が多いですが、女の子も好きです。

実は我が子が全く武器を作らなかったし、ヒーローも戦隊ものにも戦いごっこにも興味がなかったので気が付かなかったのですが、世の親御さんたちはテレビやゲームの暴力的なシーンを遠ざけたいと思っているそうです。そのギャップに今更びっくりしたので、何が起きているのか興味が湧いてしまいました。


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1983年にファミコンが家庭に登場して以来、日本の文化にまで成長したゲーム。以降「ゲームはこどもに悪影響を与えるという論」は、報道にあおられる形で数年スパンで盛り上がるそうです。

そのブームの発端は1997年に起きた少年Aによる神戸の連続児童殺傷事件のような、こどもによる残忍な犯罪が起きたとき。つまりゲーム内で味わう殺しのオモシロさが残忍な事件を起こす原因になっていたり、他にもこどもに悪影響を与えているのではないか?という議論です。

日本では1997年の事件をきっかけにこの研究が盛んになってきたようですが、現在でもはっきりとした因果関係は認められていないそうです。


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一方で自分の経験ですが、マインクラフトというゲームをこどもたちとやっていた時に人気だったのが「サバゲー」という名の殺し合い。

ニコニコ楽しそうに、毎日毎日殺されるのが嫌で仕方なかったんですが、こども達は楽しそうだったので「なんでだろう?」という好奇心で参加していました。

その時に面白かったのがゲームの中で刺されたり、弓で射られた時に「痛い!」「やめて~!」っていうんですね、痛くないのに。

そのセリフをいう子は、死生観が大人に近いんだろうなって感じたんです。





個人差はありますが、死生観が大人並みになるのは10歳くらい。

「大人と同じ死生観」とは以下のことを理解できるということです。

1.不可逆性 生きている者が一度死ぬとその肉体は二度と生き返ることはできない。
2.最終性 肉体機能、新陳代謝、感情、動作、思考と言った、生きている時に行っていることが死によって終わる。
3.不可避性 自分も含め生きている者は全て必ず死ぬということ。
4.因果性 死は肉体的・生物学的な要因があるということ。


3~5歳の子は、自分がいつか死ぬなんて思ってもないし、死ぬ=寝てるくらいの感覚でまた動き出すだろうと思っています。

5~9歳になると頭では上記の概念を理解しているけど、でも自分は死なないと思っているんだそうです。


死生観が大人に近づくにはいろんな経験を経る必要があるそうで、身近な人の死(ペットを含む)の体験、テレビやニュースを通して死にはいろんな原因があることを知ったり、死んだ人を見たことがあるかどうかといった経験値が増えていくことで育つようです。

そしてほとんどの子は、10歳を超えるころには現実の死とゲームの死は別物であることを知っていて、現実の世界で体験できないようなことができるゲームの世界を楽しんでいます。

ところが実際のリアルな死への興味に繋がってしまうことがあるのも事実で、ただそれはゲームだけが原因とはいえず、家庭や友達関係が上手くいってないとか、勉強できなくて自己肯定感が低いとか、他の要因も絡んでいて起きることのようです。


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ということで、ゲームや戦隊ものの影響でこどもが暴力的になることが一時的にあったとしても、正しい死生観を得られるように導くことと、心が落ち着く居場所があったり、安心して話せる相手がいたりすることで恐れているような残虐な犯罪は減るはずです。

いずれにしても武器に対する興味は多くの子ども達にあるし、扱いを間違えると危ないということも頭では分かっている子が殆どなので、あとは安全に経験を積んでいくってことでしょうか。


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一方でマインクラフトで楽しそうに殺されてからというもの、あまりの気持ち悪さにいつか実現してやる!と思っていた「弓矢サバゲー」をいよいよ10/24から月1ペースでヒミツキチ建設と並行してやろうと思います。防具の選定、弓矢の制作、矢の射方、ルールの策定を考え、危険を減らして思う存分弓矢で遊んでもらいます。(自作の弓矢なので対して飛びません)

嫌というほどやれば自然と楽しく卒業するのではないかという仮説の元に。


個人差はありますが、死生観が大人並みになるのは10歳くらい。

「大人と同じ死生観」とは以下のことを理解できるということです。

1.不可逆性 生きている者が一度死ぬとその肉体は二度と生き返ることはできない。
2.最終性 肉体機能、新陳代謝、感情、動作、思考と言った、生きている時に行っていることが死によって終わる。
3.不可避性 自分も含め生きている者は全て必ず死ぬということ。
4.因果性 死は肉体的・生物学的な要因があるということ。


3~5歳の子は、自分がいつか死ぬなんて思ってもないし、死ぬ=寝てるくらいの感覚でまた動き出すだろうと思っています。

5~9歳になると頭では上記の概念を理解しているけど、でも自分は死なないと思っているんだそうです。


死生観が大人に近づくにはいろんな経験を経る必要があるそうで、身近な人の死(ペットを含む)の体験、テレビやニュースを通して死にはいろんな原因があることを知ったり、死んだ人を見たことがあるかどうかといった経験値が増えていくことで育つようです。

そしてほとんどの子は、10歳を超えるころには現実の死とゲームの死は別物であることを知っていて、現実の世界で体験できないようなことができるゲームの世界を楽しんでいます。

ところが実際のリアルな死への興味に繋がってしまうことがあるのも事実で、ただそれはゲームだけが原因とはいえず、家庭や友達関係が上手くいってないとか、勉強できなくて自己肯定感が低いとか、他の要因も絡んでいて起きることのようです。


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ということで、ゲームや戦隊ものの影響でこどもが暴力的になることが一時的にあったとしても、正しい死生観を得られるように導くことと、心が落ち着く居場所があったり、安心して話せる相手がいたりすることで恐れているような残虐な犯罪は減るはずです。

いずれにしても武器に対する興味は多くの子ども達にあるし、扱いを間違えると危ないということも頭では分かっている子が殆どなので、あとは安全に経験を積んでいくってことでしょうか。

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一方でマインクラフトで楽しそうに殺されてからというもの、あまりの気持ち悪さにいつか実現してやる!と思っていた「弓矢サバゲー」をいよいよ10/24から月1ペースでヒミツキチ建設と並行してやろうと思います。防具の選定、弓矢の制作、矢の射方、ルールの策定を考え、危険を減らして思う存分弓矢で遊んでもらいます。(自作の弓矢なので対して飛びません)

嫌というほどやれば自然と楽しく卒業するのではないかという仮説の元に。


しか~し!ただまだまだ参加者が少ない(汗)

こどもが武器を振り回して危ない、とヒヤヒヤしちゃう人も、痛い思いもこどもの成長には必要よね、という方もぜひ一緒に弓矢サバゲーを考えてみませんか?




お待ちしてま~す!


(参考文献)

「テレビゲームと暴力」問題の過去・現在・未来―社会心理学における研究の動向 坂元章

テレビゲームと暴力行動・社会的不適応をめぐる問題 山下利之

子どもの死生観の解明―子どもの生きた経験から見えるもの 谷川友美

子どもの死の概念 仲村照子

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