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もっともっと”壊す”を楽しもう!

私は小中学生向けのシェア工房を運営しています。

シェア工房はいろんな道具や材料があって、こどもたちが思い思いに工作をする場所です。やりたいことがない子にとっては拷問のような場所です。それでも来てくれる子がいるので細々と続けています。

「AIが人間の仕事を奪う」というキャッチーなフレーズが流行った頃から、「AIにはできない、人間ならではの創造性があれば生きていける」的な話をあちこちで見かけるようになりました。自分がこの仕事を始めたときにはそう思ってました。

しかし最近「創造性がなければ生きていけないからプログラミングやりましょう」とか、「0→1を作れる人間をもっと作りましょう」的な風潮にうんざりしています。



春に開催している子どもの社会体験プログラム「こどものまちをつくろう」では、ものづくりのお仕事体験が多いですが、その他に「役所」という管理部門があります。例えば「銀行」ではひたすらお金を数えるのが好きな子がいたりします。きっとAIが台頭すると真っ先になくなりそうな仕事です。

一方で楽しそうに仕事をしている姿を観察すると、「この仕事楽しい」という気持ちがあれば創意工夫はたくさん起きる。それが結果として”創造”になるので人間の仕事はなくならないはず、と感じます。





そんなこともあり、うちのシェア工房に参加する保護者にも必ず「作品を作るとは限りません」「親のやりたいことは優先しません」と説明しているのですが、それがどういう意味なのかすぐには分からない場合がほとんどだと思います。

利用者目線で考えれば「(親が)お金払って工作教室に来てるのに(←ここで認識がずれてるのですが)何も作らないってどういうこと?」と疑問がわくのではないでしょうか?





例えばこの子はカッターナイフを使って、発泡スチロールを小さく・薄く削ることに夢中になっています。結果この日この子は作品的なものはを作らないんですが、発泡スチロールの素材特性を体で理解できます。そのうち薄くスライスする技術を身に着けて何かを作るかもしれないし、飽きちゃえば何も生み出さないかもしれません。

作品(結果)を重視すると、このような過程でその子が学んだこと(楽しんだこと)は見えなくなってしまいます。






結局何も生み出していないような、遊んでるようにしか見えないことや、どちらかというと壊しているかのような時間が私自身やっぱり好きなんだと思います。

そしてその価値が大人に伝わらないことにもどかしさを感じながら、もっともっと常識を超えて伝えていきたいなと日々思っています。

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